「助ける側」の私が、助けられる側になった日。〜看護師がうつとコロナ後遺症のどん底から、自分を許せるようになるまで〜

うつ・メンタル回復

はじめに

実習先の病院のトイレで、白衣を着たまま静かに泣いていたあの日。 誰にも気づかれないように、必死で呼吸を整えていた感覚を今も覚えています。

私は、看護師・保健師として「人を助けること」を仕事にしてきました。 それなのに、自分自身がうつになり、さらにはコロナ後遺症で動けなくなるなんて。 専門家であるはずの自分が、一番自分のことをコントロールできませんでした。

「助ける側なのに、どうして」 そんな消えない罪悪感の正体と、どん底から少しずつ「自分を許す」までの道のりを綴ります。 同じように、支援の現場で人知れず苦しんでいるあなたの心が、少しでも軽くなればと願っています。


セクション1:「助ける側」が陥る二重の檻

患者さんの検温や状態観察はあんなにスムーズにできるのに、自分の体温計がどこにあるかさえ分からない。 医療従事者としてのアイデンティティが強いほど、動けなくなった自分を認められなくなります。 身体のメカニズムを理解しているはずなのに、なぜ自分の心と体だけが思い通りにならないのか。 知識があるからこそ、そのギャップに苦しみ、自分自身を鋭い言葉で責め立ててしまうのです。

周囲からは「プロなんだから大丈夫」という無言の期待を感じていました。白衣を着て就職していれば周りからみると、全員同じ看護師。 弱音を吐くことは、専門職としての敗北のように思えて、誰にも頼ることができません。 ケアを提供する側がケアを必要とする側に回ることへの恐怖は、想像以上に重いものでした。 助ける側という立ち位置そのものが、自分を縛り付ける十字架のようなものになっていました。


セクション2:仮面を被り続けた日々

実は、うつの波は学生時代から私を浸食していました。毎日夜中の2時、遅い日は4時まで実習記録を書き続けていました。 「きちんと提出しなければ」「抜けはないか」「もっとうまく書けないか」。 修正された箇所をどう書き直せばいいか、明日また怒られないか。 疲れ果てているのに、頭だけがぐるぐると回り続けていました。徹夜続きのレポート、実習先で緊張する毎日。実習が終わる終盤で無理がたたってしまい、うつになりました。 けれど「看護師になる」という目標があったから、必死で身体を動かし何とか卒業できました。

うつを隠し 初めて就職した所では、仕事に行けば「明るくしっかり者の看護師」という仮面を被っていました。 職場での私は、なんとか周囲の期待に応えようと走り続けました。

自分の内側がどれほどボロボロであっても、制服に袖を通せばスイッチが入る。 そんな不自然な状態を続けていたため、すぐに無理がたたり仕事を辞めなければいけないような状態になりました。 それからは泥のように眠り、食べれるときに食べ、眠れないときはパソコンの画面をみてぼぉーっと過ごす。そんな日々が続きました。時には動悸に震えながら、月曜日が訪れる。 
空虚な日々が約1年くらいつづきました。

誰かに「もう無理だよ」と言いたかったのですがどのように弱音を言えばいいかわからない。 でも、誰に相談したらいいかわからず、本音を飲み込みました。 感情が麻痺しており、つらい、悲しい、苦しいなどの負の感情以外の感情がほとんどでなくなりました。


セクション3:現場でのリアルな闘い

しばらくして体調が回復した後、次に就職したのは精神科でした。そこで働いていた時期、倦怠感が出ることはかなりありました。そんな中でもできるだけ疲れが見えないように動いていました。 表情もできる限り明るく保つよう努めていました。

でも正直、動き方を見られていたら、ばれていたかもしれないとも思います。

幸いだったのは、勤務表をある程度自由に選べたことです。 3日働いて1日休むパターンが多く、朝方の勤務を避けられる準夜勤を選ぶことで、午前中に体を休める時間を確保できました。 夜勤・準夜勤は比較的業務量が少なかったことも、長く続けられた理由のひとつだったと思います。

でも、そんな綱渡りにも限界がきました。

夜勤の疲れが抜けなくなってきたんです。 夜勤明けは体が疲れ果てて1日動けず、不眠の症状も出始めました。 どんどん疲れが積み重なっていき、やがて無理が利かなくなりました。

「ここが限界だ」と気づいた時には、体がもうその答えを出していました。


セクション4:コロナ後遺症という「強制終了」

精神科を辞めた後も、なかなか安定した仕事には就けませんでした。

腰を痛めて就職に失敗したこともあります。 次の職場も合わずにすぐ辞めることになりました。

そしてようやく、精神科の訪問看護という自分に合った仕事を見つけました。 1年半かけて、やっと「ここなら続けられる」と思えるようになっていた頃のことです。

施設への訪問中に、コロナに感染しました。

熱は下がりました。でも、体が動かなかった。 せっかく定着できた職場だったのに、ほとんど寝たきりの状態が続きました。

職場の上司が、最初は「体が動かない」という状態を信じてくれなかったことも、正直しんどかったです。

り患して2週間以上経っても回復の見通しが立たず、いつまでも休職のままではいられないと判断して、退職を決めました。

「またこんな状態か」。 退職を決めた時、気持ちはそこに沈んでいました。

腰痛、転職の失敗、そしてコロナ後遺症。 ようやく見つけた居場所を失った喪失感は、言葉では言い尽くせないほど重かった。


セクション5:制度という「杖」を掴んで

無職になり、真っ先に襲ってきたのは収入が途絶えるという恐怖です。

傷病手当金の支給決定通知が届いたとき、ようやく社会から「今は休んでいいんだよ」と許された気がしました。 本当にありがたかった。あの制度がなければ、あの時期を乗り越えられなかったと思います。

「医療従事者なんだから自力で解決しなきゃ」というプライドを捨てて、公的な助けを受け入れた瞬間、世界の見え方が少し変わりました。

コロナ後遺症が落ち着いてきた頃、今度は失業手当の受給が始まりました。 「働く前の準備期間」として、焦らず回復に専念できる時間をもらえた気がしました。

職業訓練では簿記を選びました。 傷病手当が切れるタイミングで一番近い日程だったことと、お金に関する知識を身につけたいと思ったからです。

お金の不安が少しずつ薄れていくと、心の中にわずかな余白が生まれてきました。 支援する側だった私が、制度の温かさを身をもって知る。 それは皮肉なようでいて、再生のために必要なステップでした。


この記事の深掘り版をnoteに書きました

・仮面を被り続けた10年間の詳細
・職場でうつを隠した具体的な工夫
・コロナ後遺症で上司に信じてもらえなかった苦しさ
・暗黒期の正直な感情ログ
・回復のためにやってよかったこと

同じ「助ける側」で立ち止まっている方へ、
具体的な工夫と正直な気持ちを
全部まとめました。

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一歩ずつ、一緒に前に進みましょう。

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